落語の演目の時代を知ろう。落語が教えてくれる江戸文化

たくさんのお運び、誠にありがとうございますm(__)m。Web亭落語講座、案内人の落語語朗(らくごかたろう)と申します。皆様に落語の魅力を紹介しております。

落語は江戸時代に成立したと云われておりますが、およそ、大坂夏の陣が終息した元和年間にその始まりをみることができます。大名衆、いわゆるお殿様のお伽衆(話相手)が噺家(落語家)の祖とされています。

その後、江戸時代もなかばを過ぎると、落語はだんだんと庶民の娯楽になっていきました。天保年間(1830年~1843年)の江戸には200軒以上の寄席があったそうでございます。さて、今日は落語を通じて、そんな江戸の時代、江戸文化を垣間見てみましょう。

皆さんの人生の楽しみはなんですか?ゴルフ?お酒?映画?海外旅行?まぁ、いろいろあると思いますが、なかには数え上げたら片手じゃ足りないなんて方もいらっしゃるでしょうな…では、江戸時代の庶民の最大の楽しみはなんだったと思いますか?

それは、旅行だったのでございます。落語の演目にも旅噺という分野がございます。江戸落語では「三人旅」、上方落語では「東の旅」などはお伊勢参りをテーマにしたお噺です。「三人旅」は江戸から伊勢へ、「東の旅」は大坂から伊勢を目指します伊勢参りのお噺です。

落語以外にも十返舎一九の滑稽本、「東海道中膝栗毛」弥次さん喜多さんの東海道の旅は江戸時代の大ベストセラーとなりました。葛飾北斎の「富嶽三十六計」、歌川(安藤)広重の「東海道五十三次」は旅から生まれた美術品の至宝とも云えるでしょう。

江戸時代の旅といえば、「入り鉄砲に出女」でイメージされるように規制でがんじがらめという感じですが、実はそうでもなかったのです。通行手形を持たずに旅をする庶民も結構いました。通行手形を持つことの意味は、それを持っていれば旅の途中で役人に取調べを受けた時は自分の身分を証明できることと、関所を通ることができることです。

関所は交通の要に置かれていたので、関所を通らない、裏街道をゆくことはそれなりにたいへんなことでした。箱根なんぞは天下の剣ですから、関所を通るのもたいへんだったのに、そうしないとなると正に道なき道をゆくというありさまになります。

交通規制とともに、江戸時代の町家の庶民は休日といえば盆と正月のみ、お百姓さんは年貢の関係からなかなか在所を離れることはできませんでした。そのようなことから、旅というものが最大の楽しみだったのでございます。主要街道のガイドブックも出版されていました。

そのなかでも、庶民の最大の憧れがお伊勢参りでした。お伊勢参りがそれほど人気だったのは一つ理由があって、奉公人や子供が主人や親に内緒で出かけても、信心の旅であったので咎めることはタブーだったのでございます。そのうえ、ある時期はお伊勢まいりをする人は宿や飲食は沿道の住人に施しをうけることもできたのです。

なかには、お伊勢まいりを装った駆け落ちをする輩もおったそうでございます。時にはお伊勢参りが集団になって、数百人規模にもなることがありました。大集団のお伊勢参りと特にお蔭参りと称したりいたします。

日本人の集団旅行好き、江戸時代からの伝統文化だったのかもしれません…以上、落語が教えてくれる江戸文化の一席でございます。お後が宜しいようで…m(__)m