たくさんのお運び、誠にありがとうございますm(__)m。Web亭落語講座、案内人の落語語朗(らくごかたろう)と申します。皆様に落語の魅力を紹介しております。

何の世界にも名人はいらっしゃいますな。もちろん落語の世界にも名人と呼ばれておられる方々はいらっしゃいます。まぁ、十人の落語ファンがいれば、十人の名人がおるのではないかと思いますが、万人に愛される名人と言われる方はどんな方なのでしょうか。

私が今日、名人としてご紹介させて頂きたいのは西の米朝、枝雀、東の志ん朝、小三治(桂米朝、桂枝雀、古今亭志ん朝、柳家小三治)でございます。では、お生まれの順にご紹介いたします。厳密にはそれぞれ何代目という表記をつけるべきかもしれませんが、皆さまのお馴染みの代の師匠でございます。

桂米朝師匠は1925年(大正14年)のお生まれです。上方落語中興の祖と言われており、重要無形文化財(人間国宝)に認定されております。戦中・戦後、噺家さんたちの数も減りましたし、修行なんかもままなりません。上方落語はこのまま滅んでしまうのではないかという時期、演目(落語のお噺の内容)の活字も録音も失われているような状況のなか、昔、聴かれた記憶を頼りにたくさんの演目を復活させました。

上品な語り口で、同じ関西弁でも、大阪弁と京都弁の違いは米朝師匠のお噺を聴くとその違いというものが実によくわかります。後述の枝雀師匠はお弟子さんでございます。

古今亭志ん朝師匠は1938年(昭和13年)のお生まれです。東京の駒込出身で豪気な芸風が売りでございました。大阪のお客さんにも江戸落語の真髄を広められた方でございます。たいへんにお酒が好きで、それもあるのでしょうか2001年、まだお若いのに惜しまれながら亡くなられております。志ん朝の枯れた芸が見たかった、と多くの方が申されます。

桂枝雀師匠は1939年(昭和14年)のお生まれです。「ずびばぜんね~(すみませんね~)」に代表される滑稽で大きなアクションが芸風です。米朝師匠のお弟子さんなのですが、芸風は正反対です。お弟子さんの桂雀々師匠はいつも仏教の本を紐解いておられたもの静かな方だったと述べておりますが、ご自分の芸に関して、たいへんにストイックな方で常に研鑽をされていた方でした。

「枝雀の顔を見られただけで笑われるようになりたい)」が口癖でした。1991年にお亡くなりになられております。

柳家小三治師匠は1939年(昭和14年)のお生まれです。小三治師匠も人間国宝でいらっしゃいます。ぶっきら棒に飄々と朴訥に語る芸風です。本物の芸とは「お客さんが無意識に笑ってしまうもの」という信条をお持ちです。

たいへんに多芸多趣味でお若い頃は革ツナギでナナハンで寄席に現れていたそうでございます。俳句も嗜まれていて、米朝師匠や入船亭扇橋師匠、永六輔さんは俳句仲間でいらっしゃいます。

今回、ご紹介した方々を取り上げたのは上品さ、豪快さ、滑稽さ、朴訥さいずれも落語の芸風としてだけではなく、人として身に着けていたい魅力なのではないかと感じたからでございます。

以上、名人列伝の一席でございました。お後が宜しいようで…m(__)m